Mission
小学校のころになりたかったもの・・・「歌を歌う人」
中学校のころになりたかったもの・・・「絵を描く人」
子どものころ、私は夢を語ることをあまりしませんでした。とってもよくしゃべる子どもでしたけれど、物心ついてからは、本当に思っていること、本当に望んでいることをあまり口にしてなかったなーと思います。
私は福岡県の炭鉱産業が盛んなまちに生まれました。
祖父母は農業をしていて、父はサラリーマンで、母はときおりパートをしている専業主婦でした。
そして男の子を望んでいる家庭でした。
しかし、結婚して5年経った両親のもとに生まれたのは女の子である私でした。
私はとても大事にされる反面、「男に負けるなよ」という言葉をかけられて育ちました。
私が生まれて7年後、弟が生まれました。
世界が文字通り一変しました(笑)
いままで、私だけを見ていた全ての大人たちの目が小さな弟に注がれるようになりました。
両親も、祖父母も、親戚たちも。
7歳の私は、自分の存在価値を何としても見せなくては!と躍起になりました。
自分の存在価値を見せる=大人の期待に応える!
勉強もお稽古事も褒められたいがために頑張っていました。大人たちが私を見てくれるように・・・。
男の子は私の存在価値を脅かす敵!と思うようになりました。
そして大人の期待に応えないものは、自分の存在価値を見せることができない。だから、無意識に大人(主に親)が認めてくれそうなものの中で自分がやりたいことを探すようになっていました。
いい大学に入って、いい企業に就職して、だれかいい人と結婚する・・・。それが親が望んでいると私は思っていました。だから、
「歌を歌う人になりたい」「絵を描く人になりたい」
という選択を自ら消していったのです。
第二の転機
私の夢と第一の転機
正直に生きて、福を呼びまくろう!
無意識に親が認めてくれそうなものの中で、やりたいことを探すようになっていたとはいえ
中・高・大と希望した学校に進学することができました。海外に行ったり、ボランティアしたり、恋愛したりと学生生活を謳歌していました。
そして第二の転機が訪れます。
それは、就職活動でした。
私が就職活動した時期は、バブル経済がはじけた就職氷河期と言われる時期。
「やりたいことじゃなくてできること」
「好きなことじゃなくて向いていること」
で就職活動をしなさいと大学の就職課の方に指導されました。
「好きなことをやっては生きていけない」がさらに上塗りされました(笑)
そして、ここでも男女格差を突き付けられました。
「君、女の子でしょ。親元帰ったら?」と面接で言わたり、
明らかに女子を採用する気がないんだなと思われる説明会があったり・・・。
友人が内定をもらったと聞けば、うれしい半分、焦り半分・・・。
自分が頑張っても、どうしようもないという状態。
でも、いったい自分の何がいけないんだろうと苦しい日々が続く中で、とあるIT教育会社から内定をいただきました。
「男には負けない」・・・それが大人たちの期待。
男性は私の存在を脅かす敵だから、私ができることを見せなくては!と入社してからがむしゃらに働いていました。
でも、だんだん苦しくなってきました。
こんな状態が60歳くらいまで続くの?
人生ってこんなにつまらないもの?
私、いつになったらやりたいことがやれるようになるの?
もう無理だ・・・。そう思って29歳の時にその会社を辞めました。
第三の転機
在宅の仕事がやりたいということに加え、両親が「英語ができる」ということを重視していたので、退職後は翻訳学校に通っていました(やっぱり親の認めてくれそうな範囲で選んでますよね(笑))。
その後、夫の転勤で東京を離れることになり、学校をやめました。
このときには、もう自分がやりたいことは全く見えなくなってました。
もっと楽しく生きたい!やりたいことを見つけたい!
人生に迷子になっていた私は、ヒーリングとかスピリチュアルセラピーとか受けまくって、習いまくってました(笑)
アロマオイルでリーディングしたり、オーラとかそういうものを感じてみたり、チャネリングを習ってみたり。
こういうことを仕事にしてみたい!
私もやっていて楽しいし、周りの人を幸せにできるような気がする!と感じて、レンタルサロンや自宅でセッションを始めました。
その一方で、派遣や正社員でいろんな職場を転々としました。
(地方自治体、大学広報、慈善事業団体、放送局、外資IT企業、外資流通業、不動産業などなど)
なぜならサロンで思うように稼げなかったからです(笑)
なぜ稼げなかったか・・・
根底にあったのは「大人の期待に応える生き方ではない」という想い。
「大人の期待に応える生き方をしない私には価値がない」という勘違い。
口では「もっとサロンに人が来てほしい。私の提供しているものを受けてほしい。と言いながら、
心の奥底で「うまくいったら、どうしよう。大人が評価してくれる生き方ではないのに」と思っていたのです。
(父はよく「正社員で働いた方がいい。働けるんだからそうしろ」とよく言ってました)
私に必要なのは「私自身が私の価値を気づくこと」でした。
例え大人の期待に応えなくても、私には価値がある!私が私を笑顔にしないでどうする!と心の底から思えた時、
いかにいままで自分の価値を低く見ていたかということと、だからこそ苦しかったのだということに気付けました。
私のミッション
自分の価値に気づいて、
自分の思いに正直になって、
福を寄せまくる人を増やす!
それが私のミッションです。